飯田有抄さんによるスペシャルエッセイ「元始、ピアノはオーディオであった」
デノンブログではすっかりお馴染みのクラシック音楽ファシリテーター飯田有抄さん。今注目のオーディオ評論家でもあります。今回は飯田さんが「ピアノは実はオーディオだった」という興味深いエッセイをデノンオフィシャルブログに寄稿してくださいました。ぜひご一読ください。
バラエティ豊かなスピーカーは、かつてのピアノを思わせる
スピーカーといえば、四角い箱形をしていて、丸い形のユニットが付いている——オーディオに関心を持つ前までの私には、そんなイメージしか持っていませんでした。
ところが、ひとたびオーディオ“沼”に足を踏み入れるやいなや、スピーカーにはいろいろな姿形のものがあり、音作りの方向性も実に様々であることを知って、とっても驚きました。外観デザインは、音質にも影響するので注目するととくにおもしろいですね。大きさ・色・形状・材質によって、シンプルなものからグロテスク(?)なものまであって、「みんな違ってみんなイイ!」といいたくなるほど個性豊かです。
スピーカーのバラエティを知った時に、思い出したのがピアノです。ピアノというと、一般的には、縦型のアップライトかグランドピアノの2種類で、色は「ピアノブラック」と言われるあの黒々とした姿がイメージされることでしょう。ところがピアノはその昔、今のスピーカーに負けないくらい、実に個性豊かな楽器で溢れていたのです。
いつ頃のことか言えば、18世紀の終わりから19世紀にかけてです。基本ピアノは木目調でしたが、脚の形や譜面台、装飾、ボディ全体のデザインや色味が、当時のピアノはひとつひとつ個性豊かでした。現代のように、ピアノが工場で大量生産される以前は、職人の工房でひとつひとつが手作りされていたからです。
ウィーンやパリのピアノ工房は、ベートーヴェンやリストといった優れたピアニスト兼作曲家にアドバイスをもらいながら、ピアノ製造の技術を磨いていきました。太く強い音(フォルテ)から繊細で弱い音(ピアノ)まで表現し、音域を低音側にも高音側にも拡大し、連打など技巧的な奏法に応えてくれるピアノが求められ、多様な個性をもった楽器たちが作られるようになっていきました。
モーツァルト時代のフォルテピアノ(1788年製シュタインのレプリカ)
ショパン時代のフォルテピアノ(1848年製 プレイエル)
リスト時代のフォルテピアノ(1866年製 エラール)
その昔、ピアノはリアルに“オーディオ装置”だった!
よりよいサウンドを求めて改良が進められていった19世紀のピアノ。楽器製作者たちの取り組みの歴史を紐解けば、現代のオーディオ機器メーカーがしのぎを削る姿とどこか重なるものを感じます。
そんなピアノはまさに、現代のオーディオ装置そのものの役割を担っていました。当時はまだ音を録音したり再生したりするテクノロジーは存在していません。流行のオペラはオペラ座に足を運ばなければ観られませんし、話題のオーケストラ曲も、教会や劇場で催されるコンサートに行かなければ聴くことはできませんでした。
しかし、「あの曲はこんなふうだった」と振り返ることを可能にしてくれたのが、19世紀から家庭に普及し始めたピアノだったのです。
「あの2幕のアリア、素敵だったわね」
「もう一度聴きたいね。ピアノで弾いてみようよ。たしかアレンジの楽譜が売っていたよ」
「週末にお客様を呼ぶから、連弾でお聞かせしましょう!」
まさにピアノは流行音楽の再生装置。誰でも気楽に弾ける簡単なアレンジ譜は、今でいうレコードやCDばりに、最先端の音楽として次々とリリースされ、人々はそうした楽譜を買い求め、自宅で弾いては楽しんでいたのです。家にオーケストラや歌手を招いて演奏することはできなくても、ピアノと簡単なアレンジ譜さえあれば、いつでもベートーヴェンの交響曲や、ウェーバーの人気オペラを“再生”することができわけです。
ピアノは市民のステータス・シンボル
時は市民革命を経て、貴族社会から市民社会へ。ドラスティックに社会構造は変化し、庶民は働いたお金で財産を築くことができ、自分たちの手で欲しいものを獲得できるようになっていました。産業革命によって、楽器製造の技術向上や生産台数の伸びが期待され、楽譜の出版も相次いだ時代です。かつては王侯貴族の特権であった楽器の所有と演奏が、市民にも可能となり、アマチュア音楽家が誕生し、だれもが自分で音を出し、音楽を楽しめる時代が到来したのです。
自宅にピアノを置くことは、「豊かさの象徴」でもありました。その楽器をササッと弾きこなせることもまた、教養高き市民の嗜みともなりました。とくに若い女性たちの間では、ピアノを品よく演奏できるようにお稽古することは、花嫁修行(死語!)の一つでした。
客人を応接間に招いて催す「サロン」と呼ばれる集いでは、ピアノは欠かせないアイテムに。ビーダーマイヤー時代の家庭的なサロンでは、その家の娘がBGMで流行の音楽を弾き、人々をもてなしました。また、男女が1台のピアノの前に肩を寄せ合って座り、連弾を楽しむのは、ドキドキする楽しいアトラクションだったことでしょう。時に手と手を交差させたりしながら、やさしい音楽を奏でるのは、パーティーの楽しみの一つです。
シューマン:小さな子供と大きな子供のための12の連弾小品より 第12曲「夕べの歌」( 1826年製グラーフのピアノ。)
一方、パリの文化人たちが集う華やかなサロンでは、ショパンやリストといった時代の寵児が活躍し、豊かなピアノ音楽文化を形成していきました。

ショパンがサロンで演奏する様子
(出典:Koncert Chopina by Henryka Siemiradzkiego (A concert given by Chopin in the salon of Duke Radziwiłł in 1829)
現代ではオーディオ装置が、私たちの目の前に大編成のオーケストラや世界的オペラ歌手を呼んできてくれるかのように、鮮やかに再生してくれますが、ピアノ1台で再生していた時代を思えば、はるばる遠くへきたものだ……と感慨深いものがあります。
とはいえ、いつの世も、素敵な音楽を鳴らしてくれる道具の周りに、人は集まるもの。そこに変わりはないようですね。
(おわり)
飯田有抄 プロフィール

東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学院修士課程修了。Macquarie University(シドニー)通訳翻訳修士課程修了。「クラシック音楽ファシリテーター」を肩書としながら、クラシック音楽の普及にまつわる幅広い活動をおこなっている。音楽専門誌、書籍、楽譜、CD、コンサートプログラム、ウェブマガジン等に執筆・翻訳、市民講座講師、音楽イベントの司会やトークの仕事に従事。ラジオやテレビなどのメディアに出演。書籍に「ブルクミュラー25の不思議〜なぜこんなにも愛されるのか」(共著、音楽之友社)、「ようこそ!トイピアノの世界へ〜世界のトイピアノ入門ガイドブック」(カワイ出版)、「さぁはじめよう!オーディオのある暮らし」(音楽之友社)等がある。公益財団法人福田靖子賞基金理事。